「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「崇拝」は神聖であっても、愚かしく、危険である。 

世の中は、澄むと濁るで大違い。
「くうそう(空想)」 「くうぞう(食うぞう)」 「ぐうぞう(偶像)」の
各崇拝者の正しい在り方を示したがゆえに、自分に当てはめれば何かの役に立つ
と思うかもしれないが、どっこい、そうは問屋が卸さない小論文です。

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 聖書中で、神が殺した人間の数が見過ごされてないか? 

「目には目を、歯には歯を、命には命を」という有名な言葉がある。

これは刑罰は同等のもので償わせよ、すなわち誰かの目を損なったら目で賠償させよ、
歯を損なったら歯で賠償させよ、命を損なったら命で賠償させよ、という聖書の掟
(出エジプト記21:23-25、レビ記24:20、申命記19:21)である。
これはハンムラビ法典にも同様のものがある。

この掟では1人しか殺していないので死刑は不適当だという判決はあり得ない。
逆に、1人も殺してないのに死刑を執行されるということも基本的にない。

ところが、その掟を定めた神は、聖書中で200万人以上の人間を殺している。
詳細な数字は2,038,344人→参考 ※2,476,633人と計算した人もいる→参考

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 スピリチュアルと聖書が言う「終わりの日」とは? 

明後日の2012年12月21日は、アセンション(ascension:上昇、昇天)といって、
地球が物質世界から意識世界に移行する日だ、とスピリチュアルの一部で言われている。

その日が古代マヤ暦の最終日となっているのも根拠になっているようだ。

それがマヤカシか本当か、私は分からない。
ああ、そうですか、としか言いようがない。
だが私の守備範囲である聖書の「終わりの日」については、
はっきり言えることがある。

それは、キリスト教が言う「世の終わり」などあり得ない!だ
そう言える根拠を、ギリシア語学不要の、子どもでも分かる簡単な理屈で示したい。

☆☆☆400

 聖書預言の『世の終わり』は、「白髪三千丈」語法だ。 

マスコミは、大げさで、仰々しくて、針小棒大な誇張表現の名人だ。

飲食店の食材は、「秘伝の」、「こだわりの」、「厳選された」が決まり文句。
ちょっとした技術があると、すぐ「達人」、「匠」、「・・・界のカリスマ」。
スポーツ紙は気軽に「世紀の決戦」とか「運命の対決」「死闘を制す」と書く。
昔からあるプロ野球は、なんとまあ、「スーパーベースボール」超野球である。

昨今、「超」の字が、超やたらに超使われていると思うことが超ないだろうか。

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じつは聖書にも、超誇張表現の預言が多いのだが、真摯純朴なる聖書研究者たちは、
それを字句どおりに受け取り、大変な解釈間違いをしている場合がある。

今回は久々に聖書の話。「世の終わり」なんてものは無い!がテーマです。

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