「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 愛と平和の思想に共鳴する幸福感。 

いつもは急いで歩く道を、たまにゆったり歩くと、景色が違って見えます。
道端の草花、跳び歩く雀、緑の葉々、空の白雲までがイキイキ輝いて見えます。
みんな当たり前のように、飽くことなく、無心に、あるいは懸命に生きています。

日常にある幾つもの小さな幸せ。
それに気づくことも人生の幸せの一つでしょう。

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Gerda wegener

高村光太郎の詩から日常些事の幸せと、私の(成人してから)の貧乏生活の話です。


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 地球にオスとメスと2種類ある二元論の神秘。 

男と女。世界に、これ以上ミステリアスな組合せがあるだろうか。

もし男だけ、あるいは女だけしか存在しないなら、嗚呼、恋のトキメキは生じない。
もし男だけ、あるいは女だけしか存在しないなら、飲んで泣いて飲んでは激減する。
もし雄だけ、あるいは雌だけしか存在しないなら、雌雄を決することはむずかしい。
もしオスだけ、あるいはメスだけしか存在しないなら、ボルトとナットは困るのだ。

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地球上の生きものには、性別という二極性、もしくは対称性の破れがある。(笑)
男と女。オスとメス。永遠のワンペアについての、冗談っぽくも真面目なる話です。

 「洞窟の比喩」と「杜子春」と「マトリックス」の“夢オチ”とは。 

よく道に迷います。
知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい、というような一人旅ではないのに、
歩いていると、いつの間にか知らない土地に来ていて、あせります。
駅では、行き先が反対方向の電車にうっかり乗ったりして、あせります。
あせり・・・は朝、目が覚めたら消えるのですが、なぜ道に迷う夢をよく見るのか、不思議です。
自分の心の深層にあるメンタルの迷いを夢で指摘されているのでしょうか。
ふだん日中は、精神的に迷っているという顕在意識はないのですが。

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Pexels (Zach Damberger)

古来、現実とはひょっとしたら夢ではないか、と少なからぬ賢者たちが考えてきました。
それは人の心に本質的にあるからか、人生になにか違和感を感じるからかもしれません。

プラトンの「洞窟の比喩」はなかなか面白い話です。今回の話は、これを軸にしています。

 ニール・D・ウォルシュの「小さな魂」と「友好的な魂」の話。 

悪い人を赦すことは、自分が選んだ人生だ。

28年間も孤島で暮らしたロビンソン・クルーソーは、何が一番楽しかっただろうか。
(29年体験の小野田少尉は「楽しかった事は今の今まで一度もありません」と述べた※1)

ロビンソンは漂流25年目に、殺される寸前だった近隣の島の若者を助けた。
彼の言葉は理解できなかったが、ロビンソンの耳には非常に心地よく聞こえた。
というのも、じつに四半世紀ぶりに聞いた人間の声だったからだ。

若者フライデーは、命の恩人であるロビンソンに絶大な忠節を誓い、従僕になる。
ロビンソンは、フライデーと共に暮らした3年の歳月について、こう言っている。
「もしこの世に完全な幸福があるとすれば、まさにこれこそ、その幸福であった」

良い人間関係は祝福だが、悪い人間関係は運命の呪いかのように感じるだろうか。
身近にイヤな人間がいて、厳しく当たってくる場合は、どうしたらいいだろうか。

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ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話③』吉田利子訳(サンマーク出版)には、
どうしてそうなるのか、どう思ったらいいか、が感動的な例え話で記されています。

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