「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 吉宗の巧みな大奥の改革と、使徒パウロの巧みな懇請の手紙。 

「企て」と「企み」。
読むのに一瞬、戸惑わなかったでしょうか。
「くわだて」と「たくらみ」。
「企て」は単に計画のことですが、「企み」には悪い意図が含まれています。

今回は、徳川八代将軍の吉宗が巧みに企んだこと、
聖書からイエスの使徒パウロが巧みに企てたこと、その二つを書きました。
秘訣は、相手を“いい気分”にさせることですが、両者のやり方はまるで違います。

83qh.jpg 出典

後半の聖書のほうは信仰話や教訓話ではないですが、長いのでスルーしてもいいですよ。
でも使徒パウロの私的な手紙は、素晴らしく巧みで、惚れぼれするほど名文ですよ。
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 虹は、大洪水と平和を思い出すためにある。 

先日、車で走行中、前方に背丈ほどの大水が突然現れ、バシャーンと突入した。
といっても、これはよく見る定番の《洪水の夢》のバリエーションのひとつ。

夢は大抵、川だか海だかの水面の高さが異常に盛り上がってきて、もうすぐ氾濫するぞ、
というところで目が覚めるので、溺れた経験は一度もない。

小学生のときに台風で家が流されたが、その前に避難したので、実際に海水が
襲ってきたのは見てない。潜在意識に前世か何かのトラウマがあるのだろうか。

Frederic Edwin Church
Frederic Edwin Church「Rainy Season in the Tropics」1866

洪水といっても明るい話もある。ノアの大洪水後には大空に美しい虹が現れた。
今回は、雨のあとに見える七色の虹には象徴的な意味があるという話です。

 聖書の一日は、日没からではなく、朝の光から始まるはずだ。 

「朝はどんな朝でも楽しいわね。雨の朝も、とても好きよ」
と赤毛のアンは言いました。
地球の上に朝が来ると、さあ、どんな人にも、新鮮な「一日」が始まります。

それにしても、朝はどこから、いえ、「一日」はいつから始まるのでしょうか?
Wikipediaによると・・・
元来は、日の出から日の出まで(文化圏によっては日没~日没)を一日とした。
やがて正確な機械時計が発明され、一日のスケジュールを太陽の動きではなく
時計の時刻で決めるようになり、特定の時刻を一日の始まりとするようになった。
「暦日」は、真夜中 (00:00)から次の真夜中までの期間である。


聖書時代。ユダヤでは、夕方の日没から「一日」が始まりました。
なぜか、聖書にそう書いてあるからだというのが《表理論》なんですが、
今回は、聖書の「一日」は朝から始まるという《裏理論》がテーマ。
「地球の上に朝が来る」話には「その裏側」の話がセットになってますのでね。

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 イエスは地面に何を書いたのか。・・・コナン・ドイルの解釈 

あるとき、イエスが地面に何かの字を書いたことが聖書に記録されている。
(ヨハネによる福音書8:2-11)
イエスは、どんなことを 地面に書いたのか? 
古来、得心のいく説明をした神学者は一人もいないようだ。

むろん私も、長年どう考えても全然わからず、不思議に思っていたのだが、
このたび非常に興味深い解釈に出遭い、目からウロコがバリバリッと
大音響を立てて剥がれ落ちたので、ぜひ紹介させてください^^)。

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Amedeo Modigliani

 『十戒』は戒律ではない。人間への期待であり信頼である。 

昔、『十戒』という映画がありました(1956年製作・アメリカ映画)。
「古い奴だとお思いでしょうが」・・・鶴田浩二
「古い話で恐縮だけど」・・・萩原健一 
「つい二三日前にもテレビの番組欄に出てましたよ」・・・バーソ^^)

監督はセシル・B・デミル。左右に分かれた紅海の底をイスラエル人が
渡って逃げるシーンは有名で、当時の大スペクタクル映画でした。

十戒の絵

主役はチャールトン・へストンという面長の俳優。
「ミケランジェロが作った聖書中の人物像にそっくり」だったので、
デミル監督は、彼をモーセ役に抜擢したのだそうです。
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モーセは東洋人なのに、西洋人の顔から選んだ
というのがちょっと興味深いですね。

ちなみに、現代のユダヤ人が白人種の顔に見えるのは、
紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家
「ハザール汗国」の末裔だから、という説があるようです。

で、今回は『十戒』の話から始まって、日本の社会を良くする話です。

 「オウム」は問題だが、信者には哀れな一面もある。 

昨年暮れだったか、オウムサリン事件の平田容疑者が自首した
と思ったら、6月3日、菊池直子が出頭してきた。

写真を見ると、眼も眉も頬も感じが違っていて、まるで別人だ。
すれ違っても分からないだろう。
付き合っていた人が、分からなかったと言っている。
_ _ _

「オウムサリン事件」があったのは17年前の1995年
当時は職場が築地。駅の周辺には、大勢の警官、パトカー、白バイが集合し、
交通が完璧に遮断整理され、恐ろしく物々しい雰囲気だったのを覚えている。

亡くなった方々、病気になった方々、関係者の方々は、本当にお気の毒だ。
被害者の方々には慰めの言葉もない。
長野の河野義行さんが、サリンで意識不明に
なった奥さんを優しく看病する姿はいまも目に焼き付いている。

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しかし、そのオウムの信者も、ある意味では、被害者ではないだろうか・・・。

以下は、某キリスト教団で長年熱心な信者だった私バーソの個人的感想である。
(注:わたしは大望生活はしていますが、逃亡生活はしておりません)


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