「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 メメント・モリとは死を想い、生を思うことである。 

私には、覚えておくべきなのに、普段よく忘れていることがある。

そのことを人生で一番強く意識したのは数年前、要手術と言われたときだった。
しかし術後、ガンではなかったと言われ、そのテンションは薄れてしまった。

その覚えておきたいことは、ラテン語で「メメント・モリ」と言われている。
memento moriは「死を想え」の意で、《いずれは自分自身も死ぬ》という警句。

中世の修道士たちが挨拶をするときに、決まり文句として口に出したそうだ。
キリスト教徒が天国の至福に思いを馳せるきっかけになる言葉でもあった。

tooo.jpg
Carlos Schwabe, La Mort du Fossoyeur, 1893.

旧約聖書は、人が《死》を心に留めるのは良いと言っている。(伝道の書7章2節)

 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
 そこには、すべての人の終わりがあり、
 生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。


今回は「メメント・モリ」に関連する奇妙な絵画と音楽の話から……。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
死の舞踏。死神は、金持ちと貧乏人を等しく連れ去っていく。

人間は、貴族も僧侶も職人も農奴もみな、身分・貧富の差なく、最後は土に還る。
西暦14世紀、ヨーロッパ全土でペストが大流行し、人口の3~5割が死んだとき、
教会は、誰にも訪れる《死》に備えよとして「メメント・モリ」を信者に説いた。

しかし百年戦争の最中でもあり、人々は死への恐怖と生への執着で半狂乱になっ
て踊り続け、この集団ヒステリーの様相は《死の舞踏》と呼ばれるようになった。

中世のキリスト教世界では、《死の舞踏》というテーマは徳化された意味合いで
絵画や音楽、文学の分野など、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきた。
ヨーロッパの古い教会には、骸骨の絵画や彫刻が多く飾り付けられているそうだ。

danse.jpg
La danse macabre、Leonie Justin Alexandre Petit(1875)


kjkjs.jpg
The Dance of Death、Michael Wolgemut (1493)


ihrtyk.jpg
Danza macabra,、Jakob von Wyl (1586-1619)



私はおしゃれもダジャレも好きだが、しゃれこうべはじつはかなり好きではない。
しかし《死の舞踏》の絵は、気味悪さを打ち消すように死を楽しげに描いている。


Dappp.jpg
The Dance of Death,Danse macabre (1888-1943)


lelarge.jpg
Halloween deserves Camille Saint-Saëns’s 1874 classical masterpiece, Danse Macabre.


mme2.jpg
Til Death Do Us Part-Wedding Party Poster



khfg.jpg静物画は、以前はラテン語で「ヴァニタス」
すなわち《空虚》と呼ばれ、死を意味する
頭蓋骨や腐っていく果物などが、豊かさを
意味する部屋の置物と一緒に描かれていた。
It is by Adriaen van Ultrecht, a Flemish painter
active in the early 17th century



骸骨の舞踏を見ると、人間は皮と肉を取れば違いなんか無いことに気付かされる。
死とは肉体を脱ぐだけのことと思えば、墓も怖くなく、喜び踊りたくなるだろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
サン=サーンスの交響詩『死の舞踏(Danse macabre)』作品40

サン=サーンスがフランスの詩人アンリ・カザリスの詩に霊感を得て、1872年
に歌曲として作曲し、1874年に管弦楽曲としてまとめた。午前0時の時計の音が
鳴ると、死神の奏でるヴィオリンの奇妙な音色とともに骸骨たちが蘇って踊り始
め、勢いを増すが、夜明けを告げるニワトリの声で、みんな土の中に戻っていく。


※1875年1月24日のパリ・シャトル座における初演は失敗に終わり、特におもちゃ扱い
だったシロフォンによる骨のかち合う表現などは、作曲者の悪趣味の極みだと非難を受
けた。しかし繰り返し演奏されるうちに現在のような好評を勝ち得ていった。
       
 (スコアの冒頭に引用されたカザリスの詩)

 ジグ ジグ ジグ 墓石の上 かかとで拍子を取りながら
 真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ  
 ジグ ジグ ジグ  ヴァイオリンで
 
 冬の風は吹きすさび 夜は深い 菩提樹から漏れる呻き声
 青白い骸骨が闇から舞い出で 屍衣を纏いて跳ね回る

 ジグ ジグ ジグ 体を捩らせ
 踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

 静かに! 突然踊りは止み 押しあいへしあい逃げていく
 暁を告げる鶏が鳴いたのだ 



生ある時間は刹那的で、慌ただしく踊らないと損だと言いたげな滑稽軽妙な旋律。
人類共通の死への怖れが、死神や悪魔を登場させ、不気味に見せているのだろう。

私は、魂の存続を信じたまま最期は、なるべく静穏に逝きたいものだと思います。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
言いたいことは、人の命は途絶えることがないはず、ということだ。

さて、死んだ後のことは分からないし、考えるのも愚かしいと思うかもしれない。
しかし超越的存在が居て、意地悪ではないと思うなら、次のことを考えてほしい。

 その存在は、失敗をし、悔やみ、後は死ぬだけという人間をつくるだろうか?
 その存在は、死んだらそれで終わりという不完全な人生を設定するだろうか?


メメント・モリとは《死を想え》ということ。
死を想えとは、生の有難みを思い、超越的存在の愛を思えということであり、
その愛をよくよく思えば、今の命は途絶えるはずがないと推論できませんか。


                 



「毎日を人生最後の日と思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」

スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式の式辞(2005) → YouTube
opqkj.jpg
(9分8秒時から抜粋)
1年前、私はガンと診断されました。医者から「自宅に戻り身辺整理をするように」と言われました。つまり「死に備えろ」という意味です。そして私は手術を受けました。
●死は、おそらく生命の最高の発明です。死は《古き》を消し去り、《新しき》への道を切り開く。ここでの《新しき》とはあなた方のことです。しかしそう遠からぬうちあなた方もに君たちも《古き》となり、消えていきます。
●あなた方の時間は限られています。だから、誰か他の人の人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマ(固定された独断的な教説や信条)の罠にとらわれてはいけません。それは他人の思考に従って生きることと同じです。
●他人の意見の雑音で、あなた方の内なる声がかき消されないようにしてください。心と直感は、あなたが本当になりたいと望んでいるものをすでに知っているのです。
※資料はWikipediaを参照しています。
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おはようございます!

「メメント・モリ」は、最高レベルの智慧ですね。
死があるからこそ命が輝きます。
病気も死もない星があったとして、
永遠に生きたいかと自らに問えば、(´-﹏-`;)です。

たまたま昨夜、再放送の映画『コクーン➁』見ました。
寿命のなにか、永遠の命のなにかを如実に描いています。

死はタブー視されがちですが、
それを意識することでしか得られない『生の在り様』に気づきます。
そんな意味で、死はパラドックスですよね。

スティーブ・ジョブスの
『死は、おそらく生命の最高の発明です』って名言ですねぇ。
というのも、永遠の命を与えられても、今の地球人意識だと
有意義に使える人は少ないのでは? なぁ~んて思うからです。

道半ばで、病気や事故など不慮の死を思えば、
歳を重ねて死ねることはありがたいです。
痛みや苦しさを伴わない死なら、
もっとありがたいですねぇ。((´∀`*))

本日の画像、骸骨オンパレード……。
骸骨、どっちかというと好きです。
肉を支え、あらゆる動きを可能にした内骨格。
衝撃に耐え、脳や内臓を守った骨格。
頭蓋骨は、もっと好きです。
脳という神秘的な臓器を格納していて……(^_^ ;)

2017/03/25(土) |URL|風子 [edit]

準備

バーソ様
おはよう御座います。

私も癌だと言われたときは色々と死への準備をしました。身辺整理や少ないですが遺産配分や葬儀のやり方など。
不思議と恐怖はなく事務的にまとめることが出来ました。
きっと家内や愛犬が待っていると思うと恐怖と楽しみが打ち消しあっていたのだと思います。

サン・サーンスの死の舞踏はマイケル・ジャクソンのスリラーと企画が似ています。もしかしたらパクリか?

最後に我が教祖様が出演なさっているので思わず手を合わせてしまいました。(笑)

愛新覚羅

2017/03/25(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: おはようございます!

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 「メメント・モリ」は、最高レベルの智慧ですね。
死があるからこそ命が輝きます。

 全文、さすがに風子さんならではのコメントです。確かに「死を意識することでしか得られない『生の在り様』に気づきます」ね。

> 病気も死もない星があったとして、
永遠に生きたいかと自らに問えば、(´-﹏-`;)です。

 私は以前ブログに書いた『美しき緑の星』なら住みたいと思います。現在の地球でも、もし健康で歳を取らないのであれば、できるだけ長生きして、いろいろ挑戦して体験してみたいものです。7,80年の寿命は健康なら短すぎます。でも体が衰えてしまったら別ですが。

『コクーン』は『1』しか見てないのですが、『2』では永遠の命はさほど良くないというような結末でしたか。まあ、地球に生きる人間は煩悩が百八つもあり、世界には問題が山ほどありますからね。

 骸骨が好きですか。なるほど、そういう見方をするのですか。
 私はいつも表面しか見てないので、中は想像したくもないです。
 怪奇映画やエログロ小説や、革ジャンを着て「ハーレー」に乗るマッチョな荒くれ男のアクセサリーなどに使われているせいか、イメージがかなり良くないですね。本当は、骨格は自分の肉体のベースであり、科学的に見れば怖いものではないはずなんですが。骸骨に関しては、理性より感情のほうがだいぶ優先しています。(笑)

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 準備

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 私も癌だと言われたときは色々と死への準備をしました。身辺整理や少ないですが遺産配分や葬儀のやり方など。
不思議と恐怖はなく事務的にまとめることが出来ました。

 恐怖がなく、事務的にまとめたとは、人間が出来てますね。
 私は、死後の世界について書かれた本を読みまくり、死後の命への信仰を強めようとしました。やはり、いざ実際に死ぬことを意識したら怖さがあり、それを払しょくしたかったのでしょう。

> きっと家内や愛犬が待っていると思うと恐怖と楽しみが打ち消しあっていたのだと思います。
 そうですか。ホロリとするようなお話です。私より死後の世界への信仰がありますね。

> サン・サーンスの死の舞踏はマイケル・ジャクソンのスリラーと企画が似ています。
 歌詞は、スリラー・ナイトのmasquerade仮面舞踏会、出口はデーモンたちが塞いでいる……。似てますね。同じように感じます。
 それにしてもマイケルは表面の皮をいじりすぎて失敗しましたね。元々の外見も悪くはなく、中身は才能がたっぷりとあったのですが。

> 最後に我が教祖様が出演なさっているので思わず手を合わせてしまいました。(笑)
 あははは、そうですか。このYouTubeを見て、ジョブスはスピリチュアルの人だと感じました。頭のいい人は思考が違いますね。

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

死=舞踏と解釈するのは、死の恐怖からの逃亡なのか?それとも真理の追究なのか?
当たり前の事を素直に受け取れないのが人間のサガですが、あながち間違ってはいないでしょうね。
この世は日常的に「祭り」が催されてる世界で、生きている者は否が応でもその祭りに参加させられてます。
むしろ、死の状態にある方が平常なのかも知れません…生きている者はそれを逆に考えてますが(笑)
仏教で言う「悟り」とは、何ものからも切り離された絶対安定静止の状態であり、ならばそれは死に相当します。
死から見ると、個我があるが故に煩悩に振り回されて苦痛を感じている生の方が異常なのかも知れない。
「死んでも己を保っていたい」…この個我の強い欲求が、死を恐怖すべきものに感じさせてしまうのでしょう。
私もそうですが、小説を書く者には自分がなぜ自分でなければならないのか?なぜ他の生を生きられないのか?
と言う疑問があると思います…個我を離れてみたいと言う思いが小説を書かせる原動力になってたりします。

2017/03/25(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado jo さん コメントありがとうございます^^)
> 死=舞踏と解釈するのは、死の恐怖からの逃亡なのか?それとも真理の追究なのか?
 なるほど、両方ありそうです。聖書は、復活は時期は違いますが、2種類あると言ってます。一つは墓の中にいる者がよみがえる。もう一つは肉のからだが霊のからだに変えられて天によみがえる。なので骸骨が踊るというのは墓からよみがえった者たちのようです。墓から復活した者たちはうれしくてうれしくて踊り回っているのでしょう。
 ですがサン=サーンスは、明け方には骸骨をまた元の墓の中に戻らせているのが面白いところです。この人はちょっと皮肉屋さんのように思えます。

 日本の祭りは霊を慰めるもので、霊が生ける者に祟らないように願う一面があると言われています。祭りとは、死という最大の怖れを消去するための、ある意味で古代人の知恵であると言え、まあ、大昔から現代に至るまで物理的には効果があるかどうか分からないような虚しいこと、そして今では精神的意義もほとんど忘れられかけているようなことを人々がずーっと続けているのも面白いことです。意味が分からずに、あるいは気にしないで、ただ慣習として続けている―――そんなことは、この社会には意外に多くありそうですね。
 
> 「死んでも己を保っていたい」…この個我の強い欲求が、死を恐怖すべきものに感じさせてしまうのでしょう。
 そうですね。これは魂が思っているのではなく、個我がそう思っているのでしょう。エゴがそう思わなければ、命を大事にせず、気軽に死んでしまおうという人が増えるかもしれないので、個我が己をずーっと保ちたいと思うのも当然のことです。このエゴには悪の面もあり、善の面もあり、そんなに悪者扱いをしてはいけないもののようです。

> 個我を離れてみたいと言う思いが小説を書かせる原動力になってたりします。
 そうですか。そうならこれも、この短い人生だけでは物足りない、もっと長く生きたい、いろんな人生を体験したい、というような潜在意識の表れとも考えられそうじゃないですか。
 逆に言うと、輪廻転生とはリーズナブルな考え方であるとも言えそうで、これもまた面白いことですね。

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ああ、今、まさに私にはタイムリーなお話です。

母が衰弱で入院しているからです。
昨年の12月には覚悟をするようにいわれてましたが
お迎えは来ない。
今も病院にいます。

母は今にも旅立つような様相なのですが
命をつないでいます。

その存在は、失敗をし、悔やみ、後は死ぬだけという人間をつくるだろうか?

そんなことないですよねえ。

その存在は、死んだらそれで終わりという不完全な人生を設定するだろうか?

そんなことないですよねえ。


2017/03/25(土) |URL|森須もりん [edit]

こんばんは

「メメント・モリ」、語感がいいので本や絵画や映画のタイトルや
題材によく使われますね。
欧米ではタトゥーに使う人も多いです。 
私、死自体は怖くないんですが、世界は私が生まれる前から存在し、
自分が死んだ後もずっと続くというのがなんだか嫌なんです。(笑)
ジョブスの「毎日を人生最後の日と思って生きよう」は名言ですが、
ディードリッヒの「今日という日は、残りの人生の最初の日である」も
対句のようで面白いです。
「死の舞踏」久しぶりに聴きました。
ガチャガチャしているけれどリズミカルでしばらく耳に残りますね。

2017/03/25(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2017/03/25(土) || [edit]

こんばんは

●あなた方の時間は限られています。だから、誰か他の人の人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマ(固定された独断的な教説や信条)の罠にとらわれてはいけません。それは他人の思考に従って生きることと同じです。

この言葉を噛みしめながら・・・。
残り少ないかも知れない人生を毎日大切に生きていきます(^_-)-☆

2017/03/25(土) |URL|Miyu [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
 今にも旅立つ様相だが、まだお迎えが来ない。いろいろ大変そうですね。
 しかし、ということは、まだその時ではない。まだ生きているべき理由がある、本人か家族の誰かか、あるいは他の何かの理由がある、というような気もします。それが何かは分かりませんが。
 そうでないと、何だかおかしいように思いますね。というのは生まれてきたのも、その時期についても、もっともな理由があるでしょうから、死ぬときも同じくちゃんとした理由があると思うのです。

 宇宙には超越的存在が居ないと思うのも一つの考え方です。ただしその考え方は何も励みになることは生みません。しかし超越的存在が居ると思うと、いろんなことに辻褄が合っていると思えてきます。

 辻褄とは、人間が存在する理由であり、さまざまな人生がある理由であり、そして人生が終わったら死ぬ理由がちゃんとあるはずだということです。ちゃんと理由があれば、いろいろ苦しい人生であっても誰もが無駄な人生を送ってはいないということになり、これはかなり慰めになるのではないかと思うのですが、どうでしょうね。

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 「メメント・モリ」、語感がいいので本や絵画や映画のタイトルや
題材によく使われますね。

 あー、そうですか、そのタイトルの映画もあるのですか。さすがはエリアンダーさん、本当に特に芸術分野では何でも詳しいですね。
 欧米ではタトゥーに使う人も多い。そうみたいですね。外国のヘッドホンのブランドにもシャレコウベマークのがありますが、輸入物の面白雑貨が多そうな『ヴィレッジヴァンガード 』に、その種の商品が多いように思います。
 
> 私、死自体は怖くないんですが、世界は私が生まれる前から存在し、
自分が死んだ後もずっと続くというのがなんだか嫌なんです。(笑)

 あははは・・・うまい。こういうジョークが私は作れないんです。いつも語呂合わせのダジャレ、シャレコウベオンリーユーです、プラターズです。この程度です。進歩なしです。(笑)

 私は子供は持たないことにしたので、死んだら自分の家系は終わりになります。たいした家系でも血筋でも全然ないので、別にそれで構いません。ただ自分が《無》になり、宇宙に存在しなくなることは、小学生低学年の頃からすごく怖かったですね。それを考えたら怖ろしくて、うわーっと叫びたくなるほどでした。むろん叫びはしなかったですが、その怖さは大人になってもずーっと持続しました。
 でも今は死後の命を信じているので、死ぬときにそれが確かめられるのが、まあ、楽しみとも言えるか、などと思っています。
 でも「今日という日は、残りの人生の最初の日である」。これも確かに金言だと思います。そう思って生きたいものです。

 『死の舞踏』はヴァイオリンの不協和音が印象的で、このたびは、どのYouTubeを使おうかと思って何度も聴いたので、私もかなり耳に残っています。メロディが覚えやすくて名曲ですね。

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 私は高校生のころは洋画が趣味で、土曜・日曜は池袋の文芸座とか文芸地下の映画館によく行きました。洋画が好きになった一つの理由は、映画館のスピーカーで聴く英語のナレーションの響きがなんともいえず良かったからですが、だからといって英語は強くはなれなかったです。

 外国語はその土地に住むと早く上達しますね。
 日本に何十年もいる白人の宣教者は日本語はしゃべれても、どうも特有の妙なアクセントが抜けませんが、モンゴルとか西欧出身の相撲取りはどうしてあんなに日本語がうまいのでしょう。相撲部屋に住み込んで生活せざるを得ず、日本に溶け込もうとする意欲が強かったのかと思いますが、私もこの歳になって外国に住み込みで出稼ぎに行くわけにもいかず、困ったものです。(笑)

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

Miyuさん コメントありがとうございます^^)

> ドグマ(固定された独断的な教説や信条)の罠にとらわれてはいけません。それは他人の思考に従って生きることと同じです。
 これに目が留まりましたか。私も書いてて思いました。これは私が日頃思っていることと同じだと。
 私もずいぶん長い間、特定の教義にとらわれてきました。そして、いろいろ楽しめ、体験できるはずのことができないで来ました。狭い道を歩めと言われて、本当に狭い不自由な道を歩んだと思います。
 Miyuさんは、そういう意味では自分の歩むべき道をまっすぐ歩んできて、後悔など無いように見える人生ですので、良かったですね。

 しかしながら「残り少ないかもしれない人生」とは何たることをおっしゃいますか。メッ。それは私自身のセルフ、いや、セリフですよ。

 3月は統括する仕事で、いろいろと忙しかったようですね。ひとり居候も増えたようで、彼らの世話にも気をつかうでしょう。他者に好かれる人生というのも、これまた人徳なのでしょう。彼らから、きっと人徳天皇様と呼ばれてますよ。(笑)

2017/03/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

重い、重すぎます

おはようございます
まるで今朝の雨のような記事でございます
(日曜は雨と判っていたのでしょうか)
二人の母と父を送りました
亡骸は蝋人形のようで
『生』は欠片も感じられませんでした
生とは気です
ただ不思議なことに遠くへ行ったとは
片時も思ったことはありません
必要であれば
体のどこかに顕われるからです
肩こりがありますと
三人の水子が縄跳びをしているな、とか
歯を食いしばったときには
握った拳の中に来たな、とか
現世とは『あの世』から遠足に来たようなものです
たぶん
ちょくちょく家には帰りますから
その家とは『睡眠中』に顕われますから

そら耳とは
科学的には自分で小さく呟いているといわれますが
おいらには
家で梅婆ちゃんが何かを言っているのだと想います
ご飯できたよ!とか
いつもは山手通りを走るのに
知らずの内に明治通りを走っていたりします
これは父がこっちだと
ハンドルを握っていたのかも
山手通りだったら事故かも?

このように思っていれば
そうそう悪さはできません
おいら拳骨は嫌いでしゅから
あはは。

2017/03/26(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: 重い、重すぎます

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 重かったですか。今朝の雨は寒いですね。春がまた遠ざかったようです。

> 亡骸は蝋人形のようで
『生』は欠片も感じられませんでした
生とは気です

 うむ、気が抜けて、抜け殻になっていると感じるのですね。私も同じように感じたことがありますよ。「人形」という字は人の形と書きますが、人間も遺体になると、本当に人の形をした蝋人形のように見えますね。

 「生とは気です」。ああ、そうですね、生きている人でも、生気が強い人とそうでもない人がいます。身体は頑丈でなくても生気は強いほうがいい。「眼光紙背に徹す」。人の心にあるものは、おのずと眼の光となって表れます。体力腕力の強さも眼の光となって出ますが、意志や優しさなども眼の光となって表れます。人間は光の子であるという言葉を思い出しました。

> ただ不思議なことに遠くへ行ったとは
片時も思ったことはありません
必要であれば
体のどこかに顕われるからです

 そうですか。それはすごい。気が肉体に表れる。人の気が通じる。彼の世とこの世が重なっている。睡眠中にも顕れますか。「表れる」ではなくて「顕れる」のほうですね。風子さんと同じような波長の「気」があるのでしょうかね。そういう賜物は生まれながらであり、天から見込まれているのでしょう。

 山手通りの一部はまだ工事中で、危ない所もありますね。危険を自然に避けていると思うのは、いわゆる守護霊の導きを感じやすいということなんでしょう。そうであれば、そうそう悪さはできないというより、事故や災害には遭わないように導かれているわけで、生気の強さとあいまって、かなり長生きしそうじゃないですか。いいですね。

2017/03/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

死を想うことによって、悔いのない生き方をすることができるし、生まれてきて存在している意味を考えるようになると思います。
考えても分からないから仕方がない、というような事を言う人もいますが、考えることによって何かを掴む人たちも、大勢いると思うんですよね。
そして、たとえ分らなくても神の意図というものを信じて、肯定的な気持ちで生きていくことができると思います。
また、バーソさんも最後に書いていらっしゃるように、
魂の存続を考えない場合、最後に死んで消えるために生れてきたということになりますので、
魂の存続というものを考えた方が、納得ができます。

2017/03/26(日) |URL|Ariane [edit]

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2017/03/26(日) || [edit]

Re: タイトルなし

Ariane さん コメントありがとうございます^^)
 以前にも話したことがあるかもしれませんが、西暦1世紀頃の古代ギリシアでは、人々は町の広場でいろいろ話をするのが常でした。使徒パウロがアテネのアレオパゴスの丘で、唯一の神について論理的な話をしたとき、人々の反応は3つに分かれました。(1)論理に納得して信じる者になった人(その中にはデオヌシオという名の著名な裁判官もいました)。(2)馬鹿らしいと言って、嘲笑って去っていった人々。(3)この話はまた別のときに聞こうと言った人々。つまり有神論者(になった人)と無神論者と不可知論者がいました。(使徒行伝17:32-34)

 現代でもその3つに分けられると思います。むろん何を信じようと個人的な自由で、どういう思想や信念を持ってもいいのですが、死の意味を考えることは、確かに「生まれてきて存在している意味を考えるようになると思います」ね。それは、より有意義な人生を送ることができる要因にもなり、そうです、たとえよく分からなくても、神や超越的な存在を信じながら、感じながら、より誠実に生きていこうという動機付けになるとも思います。
 
> 魂の存続を考えない場合、最後に死んで消えるために生れてきたということになりますので、
魂の存続というものを考えた方が、納得ができます。

 そうなんです。魂が在るという確たる物証は無いかもしれません。しかしながら、魂が在ることを前提にしたほうが、欠けていたクロスワードパズルがちゃんと本来の形に組み合わさっていくように、物事の辻褄がピタッと合ってくるように思えるのですね。

 裁判官とは検事と弁護士から両方の立場の意見を聞き、それを基に論理的に推論をして結論を出すのが仕事の人ですから、前述したデオヌシオという裁判官も、多神教のギリシア人でありながら、唯一神の存在を論理的に推論して納得したわけです。同様に、神や魂の存在についても、論理的に推論していけば、それらは《在るのが当然》という結論になるのが素直な考え方だと思うのですが。

2017/03/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 ちょっと考えてから、そちらのほうにコメントを入れますね。(^^♪

2017/03/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ちくしょう、覚えてやがれ!!

 チンピラさんの決め台詞であります。で、大概チンピラさんは忘れられ、且、出番はそれっきり。まあ、主人公がこんな事一々覚えていたのでは物語りは進まないのでしょうがない。
 え゛ー毎度毎度へそ曲がりが失礼します。恐らくバーソ様に置かれましても、わたくしに普通のコメントなど期待してはいないかと思われますので、ここは一発裏の裏と言うか、世界観が三百六十度変ってしまう様な話をば・・・え゛、元に戻ってる?そりゃ裏の裏は表と言う事で、真実とは直ぐ見える所に有るものなのかもしれませんぞ。カッカッカ。
 さて、死神様とはなんぞや。この世のありとあらゆるものに平等に訪れる神様であります。が、何分その訪れ方が余りにも不平等にて、さっさと来て欲しい人には来なくて、来て欲しくない人にはあっさり来るという、何とひねたおっちゃんでありましょうか。中には苦労して苦労してさあこれから我が世の春と言う時に来てみたり、散々ご来訪を待って待って待ち侘びて待ちくたびれて生るしかないと思い直した途端来やがったとか、もう底いぢの悪さは折り紙つきですな。
 が、以前なら死んでた様な人達が医療の進歩で生き延びてしまったり、死刑になるような大罪を犯しながら死刑廃止や弁護士の詭弁で無罪放免とか、もう肩透かしもいいところ。折角遠路迎えに来たのに大鎌しょってすごすごと一人来た道を戻って行く背中、なんか寂しいぜ。死神様もご苦労なさっているんですね。そりゃチンピラじゃなくても捨て台詞の一つも言いたいところ。覚えてやがれ!
 でもこっちも一々覚えちゃおれんのですわ。何時死ぬか判らないと言う事は、何時迄生きるか判らない。明日死ぬかもなどと日々考えたところでしょうがない。明日は明日の風が吹く。けーせらせらせらケセラセラ。世のサラリーマン諸君、明日で良い事は明日しよう。明日の分まで仕事してたら何時迄経っても終わらないよ。それよりも今日を楽しく生きるのだ。心配してもしなくても、やる事やったら結果は同じだよ。
 

2017/03/26(日) |URL|miss.key [edit]

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2017/03/26(日) || [edit]

次の世界へ

おはようございます。

ところで、世界の人口73億、このうち子供を産めそうな女子15才〜50才は約16億、なので普通に結婚して第一子に恵まれる確率は16億分の1、それにそれに子を授かるための夫婦の営みで放出される男子のそれは約3億、一発で当たれば3億分の1、はからずも10日目に当たれば30億分の1、そんな気の遠くなるような確率で生まれる一つの命、そんな命も100%の確率で死んでいくなんてちょいとシュール、で、もちろん例外も奇跡も無いのよねぇー、人間だれしも本能として死と言うものを認てしているのだが、生への欲と言うものも又本能的なものであるんじゃないかなぁ、メメント・モリそれは死の現実と生への欲求を覚醒させるおまじないなのかも。
神にも仏にも信心を持たないおいら、とても矛盾しているんだけどヘブンも極楽浄土も、ちょいと信じてます(笑)

2017/03/27(月) |URL|ばく [edit]

Re: ちくしょう、覚えてやがれ!!

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 そうそう、そうです。世界観が変わる。ああ、よろしいなあああ。そういうの、こよなく好きです。どんどん反論異論をお願いします。

 それにしても、読んで、思いました。ごもっともごもっとも。死神というやつは真にひねたヤツですね。なんで、因果応報、万民平等、正義貫徹の原則をわきまえないのか。だから悪い奴ほどよく眠る。だから私は寝つきが悪い。困ったもんです。
 で、死神も苦労して、捨て台詞を残しているわけですか。といっても「覚えてやがれ」というのは大抵は、負けた者だけが言う専売特許の台詞。死神も敵わない宇宙の法則があるのですね~。

 そういうわけで「それよりも今日を楽しく生きるのだ。心配してもしなくても、やる事やったら結果は同じだよ」と来ましたか。なるほどなるほど。これはエビとキュウリが好きなエピキュリアンの思想。江戸は慶応の頃の「ええじゃないかええじゃないか」を思い出しましたよ。これは死者の舞踏じゃなくて、生者の舞踊騒動。まあ、踊る世間に鬼は無い。辛い浮世に暮らすには踊りまくるしかないですかね。一度miss.keyさんのシャル ウィ ダンス?姿を見てみたいものです。

 死神で思い出したのが八百万の神。世間にはいろんな神々がいますねえ。人生で知り合えた神々を挙げますと、あかまきがみ、きまきがみ、あおまきがみ、あかがみ、ざらがみ、はながみ、しょうじがみ、あぶらがみ、あらいかみ、ねみだれがみ、さつまのかみ、あづまかがみ、まつやまかがみ、おきてがみ、はえとりがみ、まえかがみ、ゆがみ、おかみ、それから、ええ、ガミガミというのも怖い神々ですが、以上を早口でつっかえずに言えればたいしたものです。(笑)

2017/03/27(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 祝宴の家より喪中の家に行くほうがいい。本当はワイワイ楽しいほうに行くほうがいいものですが、ここは、人生の最期のことをたまにはよくよく考えなさいという格言なんでしょう。人生は忙中閑なし。私は貧乏暇あり。いつもラストダンスは私に来ない方法はないかなんてことを考えています。(笑) あ、冗談なんか言ってる場合でなく、人の上に平等に降りかかってくるもののことは、本当によくよく考えないといけないことですね。よく考えれば世界がもっと美しく見えてくると思います。
 
 死だけは平等という厳粛な事実。いや、本当は死も生も平等に与えられているはずです。生は平等でないように見えますが、長いスパンで考えると、これも平等であるはずだと思うのですが。

2017/03/27(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 次の世界へ

ばくさん コメントありがとうございます^^)
 あら、また面白い発想で、生の尊さを訴求してきましたね。
 なるほど、生まれる確率は何億分の一だが、死ぬ確率は100パーセント。大変な確率で生を受けたのであれば、自分はくじ運が悪いなんて言葉は気軽に言えません。大変稀少な確率で得た自分の生をもっと大事にしないといけません。そう思えてきますね~。

> 生への欲と言うものも又本能的なものであるんじゃないかなぁ、メメント・モリそれは死の現実と生への欲求を覚醒させるおまじないなのかも。
 おまじないですか。そうですね。神社のお守りのように、いつも小さな袋に入れて持っていたほうがいいかもしれないですね。あるいはアクセサリーとしてシルバーのネックレスとか指輪に刻んで売り出しても面白そう。「少年よ大志を抱け」、「中高年よ諦死を抱け」、いや、「諦死」ではいけないので、「死を想え」ぐらいがいいですか。ということで、でっかいどうの北海道で売り出してみせんか。(笑)

> 神にも仏にも信心を持たない・・・だけどヘブンも極楽浄土も、ちょいと信じてます
 ああ、そうですか。ばくさんも天国を信じる人だろうと思ってましたよ。たとえ日頃は無神論の人でも、心の奥底ではなんとなくそう信じているんじゃないでしょうか。有名人の葬儀のテレビ報道を見ていると、友人の弔辞で、天国で近いうちに会おうなんて言う人が多いですから。
 そうですね。ばくさんとも、そのうち会えそうです。そう思うとなんだかしんみりしますが、また面白そうでもありますね。(^_-)

2017/03/27(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

死を想うから、生の価値を感じ、より良く生きようと思い、その魂も高められる。
そうありたいです。

2017/03/27(月) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)

> 死を想うから、生の価値を感じ、より良く生きようと思い、その魂も高められる。
そうありたいです。

 そうですね。イエスがこんな例え話を語ったのを思い出しました。


 ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分の魂にこう言おう。「魂よ。これから先何年分もいっぱい物が貯められた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」。
 しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえの魂は、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったい誰のものになるのか」。
 イエスは言われた。「自分のために蓄えても、神の前に富まない者はこのとおりです」。ルカ12:16-21

 ちょっと教訓的になりましたが、金持ちはたくさん貯め込んで、自分の魂(命)は長く続くと思っていたら突然、今夜死ぬことになったというのがポイントです。命ほど価値のあるものはないのです。
 いつ死ぬか分からない命、本当に貴重なものだと思いたいものです。

2017/03/27(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ビートルズは嫌いだった

おはようございます
お師匠様に措いては
健やかな春の日をお過ごしの事と想い
嬉しく思いましゅ
ひと雨ごとに暖かさを増して行く今日このごろ
櫻は直ぐそこに来ております

憶えておいでだとはおもいますが
【世界残酷物語】という映画がございました
人体を楽器に見立てて
ビンタで一曲演奏したのです
終演の際に
面を張られた『楽器』が涙を零したのです
あの映画は到底受け入れることが出来ませなんだ
見なきゃよかった!と思いました

そこへいくと
骸骨やキョンシーはいい
死人も山の賑わい?
(枯れ木も山の賑わい?)
毎度の記事に感謝しております

春とはいえ
時折北風も吹き込みます
春寒にはくれぐれも
ご用心くだされまし。

2017/03/28(火) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: ビートルズは嫌いだった

はしびろこう・ウナ さん コメントありがとうございます^^)
 この文体は私にとっては非常に気恥ずかしく、はなはだ恐縮してしまいますが、「措いては」「櫻」「零した」「春寒」といった文字の使用に感銘を受けたことで有馬した。

 さて、『世界残酷物語』。まあ、よく内容を記憶してますね。「人体を楽器に見立ててビンタで一曲演奏した」。うーん、言われてみると、あったような気もしてきました。これでしたか。
http://embed.nicovideo.jp/watch/sm5510291
人間の大小で音質の変化はないのですね。最後は鼻血も出てました。

 かなりの音楽好きと思っていましたが、ビートルズは嫌いでしたか。ちょっと珍しくないですか。私はビートルズは好きな曲はありますが、熱烈というほどのファンではないですね。サイモンとガーファンクルか、もう少し古いジャズヴォーカルのほうが好みです。

 『世界残酷物語』の映画はほとんど覚えてないですが、歌はよく覚えています。名曲「モア」です。おかげさまで、久々にまた聴きました。ありがとうございます。

●アンディ・ウィリアムス
https://www.youtube.com/watch?v=PdRLO5iRPVA
●ドリス・デイ
https://www.youtube.com/watch?v=QsQOsi__JWQ&index=1&list=RDQsQOsi__JWQ
●ブレンダ・リー
https://www.youtube.com/watch?v=y-6bnEKvOlw
●シュープリームス
https://www.youtube.com/watch?v=D1lm5sBZaZk

 いやぁ、音楽って本当にいいもんですね~(水野晴郎風に)(笑)

2017/03/28(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ご無沙汰してます。

バーソさん、ご無沙汰です ❀(*´◡`*)❀
ガンと言われ手術されるもガンではなかった...
そんなご経験をかつてされたのですね。
(バーソさんを愛する人たちも...ですが)
バーソさんご自身、
ほんとうにいろいろなことを
感じたり考えたりされたのでしょうね。

スティーブ・ジョブスさんのこの式辞は
私もとてもとても好きです。

(そうしづらいシチュエーションがありながらも)
授業がつまらなかったら即大学を辞めたり
好きなカリグラフィーの授業にだけ出たり...
こういうことがサッとできるのも
(少なくとも無意識の領域で?)
自分をきっちりと信用できている証ですね。

バーソさんの ”数奇な” 生き方を
以前に読ませていただきましたが、
スティーブジョブズさんの感覚や考え方に
好感を持たれるお気持ち、分かる気がします・・・。
ちゃんと自分の心の声に従って
バーソさんは生きていらした感じなので・・・。

「他人の意見の雑音で、
 あなた方の内なる声が
 かき消されないようにしてください。 」

「誰か他の人の人生を生きて
 時間を無駄にしないでください。」

「心と直感は、あなたが本当になりたい
 と望んでいるものをすでに知っているのです。」

スティーブ・ジョブスさんの言葉の中から
これらを抜き書きされたバーソさん。

こちらの記事に共感することは
たくさんありましたが、
”一番” は次のことばかもしれません。
「人の命は途絶えることがない ”はず”」
この《はず》という部分です。
途絶えることがないと
「信じたいから信じている。」のではなくて
そうでないと辻褄が合わないから
そう信じざるを得ないと言うと、
自分の気持ちにとてもしっくりと来ます。

感覚と納得の仕方とか
バーソさんと通じるものがあるのでしょうか・・・。

これ、とても好きな記事でした。
どうもありがとうございました。
ここで書くいつものコメントのようでなく、
今日は重いノリになっちゃいました ヾ(*´∀`*)ノ

2017/03/29(水) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: ご無沙汰してます。

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 こちらこそご無沙汰しています。(^^;)

> 授業がつまらなかったら即大学を辞めたり
好きなカリグラフィーの授業にだけ出たり...
こういうことがサッとできるのも
(少なくとも無意識の領域で?)
自分をきっちりと信用できている証ですね。

 なるほど。自分を信用しているので、出来ているわけですか。ジョブスは、常人とは違う独自の発想をして、それを製品に作り上げた人ですから、確かに若いときから相当の才能と自信があったのでしょう。

 私はそんな自信があったわけではなく、良心が特別清かったわけでもなく、生まれてきてぜひ知りたかった《真理》が世界のベストセラーである聖書にありそうだ、ならば思い切って聖書に従おう、狭い門を通って、ただ一度限りの人生を歩もうと思っただけのことなんです。

 ジョブスのコメントはどう見てもスピリチュアルですね。「誰か他の人の人生を生きて時間を無駄にしないでください」。これはまさしく私にぴったりの助言です。もっと早く知りたかったですよ。

> 「人の命は途絶えることがない ”はず”」
この《はず》という部分です。
途絶えることがないと
「信じたいから信じている。」のではなくて
そうでないと辻褄が合わないから
そう信じざるを得ないと言うと、
自分の気持ちにとてもしっくりと来ます。

 まあ、そうですか。それはそれは、ちょっと驚きました、というより同志の人を得たという感じです。そうなんです。目に見えない世界は何かの特別な感覚がなくても、論理的に推論していくだけでも、ある程度は十分に信じられる、リーズナブルな根拠があると思うのです。
 旧約聖書の詩編作者がこういう詩を書いています。詩編19:1-5

  天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。
  昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
  話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、
  その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。
 つまり天の星や月は神の創造物であり、創造者の栄光(智慧)を無言で語っている。神が造ったという声は聞こえないが、その証拠は(見て推論すれば分かることであり)世界の果てにまで存在している。

> 感覚と納得の仕方とか
バーソさんと通じるものがあるのでしょうか・・・。

「はず」という言葉によく気付いてくださいました。「はず」とは、宗教的な心で信じる信仰とはちょっと違う、論理的思考で構築した知的な信仰ということなんですね。私もその言葉にちょっと気持ちを込めました。(^^♪

2017/03/29(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/04/04(火) || [edit]

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