「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 タマゴと進化論とイエスと荀子の関係。  

               バーソ青草文庫 [子どもの作文]


ぼくはニワトリのタマゴ(後編)

ぼくはタマゴから生まれた変な子です。
母さんから、そういわれた話は、せんしゅう書きました。
その続きです。

ぼくはニワトリの子で、カルピスを飲んで育ったよって母さんからいわれたので、
そんなのウソだーっていいました。そうしたら母さんはいうんです。そうだろね、
グリコもなめて育ったからね、って。

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ぼくは、グリコなら知ってるけど、こんなおじさんの顔じゃないっていいました。
そうしたら母さんはいうんです。おや、顔が違うことによく気がついたね。でも、
ひと粒三百メートルも走れないような、頭でっかちの人たちが、ニワトリが先か、
タマゴが先かと、おろかなろんそうを始めたんだよ、って。


ニワトリは姿を見ればすぐニワトリと分かる。大体がニワトリだと分かる鳥をニワトリと言う。しかしタマゴは見ても何のタマゴかはすぐ分からない。たまたま育ちの悪いアヒルのタマゴかもしれず、重量級のウズラのタマゴであるかもしれず、ひょっとしたらアカウミガメ・アオウミガメ・キウミガメの生亀生肉生卵の可能性もある。ならば、どうして中身の不明かつ不確実なタマゴが、見た目に明瞭なニワトリより先に出来たと結論できるだろうか。


ぼくはミルキーのほうが好きだったので、ひょっとしたらミルキーで育ったのか
なあと少し不安になってきました。そうしたら母さんはいうんです。サルちゃん
はミルクもタマゴも大好きだよね。それは、良い子のしょうこなんだよ、って。


イエスの言葉―――新約聖書ルカによる書11章9~13節

「私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、サソリを与える父親がいるだろうか
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださるのだ」


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ぼくはサソリ座の生まれです。ということは、母さんと親子かんけいがないのか
なあ、と心配になってきました。そうしたら母さんはいうんです。世の中には、
しゅつらんのほまれという言葉があるけど、おまえは、しゅつらんのせがれだか
ら喜びなさい、って。んー、意味わかんない。


「出藍の誉れ」とは、荀子(じゅんし)が学問の重要性をうたった言葉「青は藍(あい)より出でて藍よりも青し」から出来た。藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色になるが、その関係を弟子と師匠に当てはめて、弟子が師匠の学識や技術を超えるという意味。一方、「出卵の倅(せがれ)」とは卵から生まれた子がオスだったという意味で、バーソの造語である。ニワトリの卵は、温めて四日目に赤外線レーザーを当て、胚(ひよこになる前の状態)の血液の光り具合でオスかメスか判別される方法が開発されているが、オスのヒヨコの運命は哀れで過酷である。殺処分され、肥料や飼料の原料とされる。


ぼくは、オスのヒヨコはかわいそうだねっていったら、母さんはまじめな顔でい
うんです。そうね、サルちゃんは、弱いものをかわいそうと思う気持ちをぜった
い忘れないでよ。昔、ポル・ポトという名の悪い政治家がいてね。この人は、頭
のいい人をにくんで、おおぜいはくがいして、ころしたのね。おとなになっても、
ひとを気づかう気持ちを自分でやしなわなかったので、そうなったんでしょうね。


ポル・ポトとは、カンボジアの独裁者(1928-1998)。本名はサロット・サル。極左武装組織クメール・ルージュ(赤色)を率い、当時人口が一千万にも満たなかった小国カンボジニアの人々を、四年間で数十万から数百万人も虐殺したことで有名。クメール・ルージュは食糧増産を図るため、プノンペンなど大都市の住民や、資本家、技術者、知識人などから財産・身分を全て取り上げ、農村で農業に強制従事させた。学校、病院、工場も閉鎖し、貨幣も廃止し、宗教を禁止し、一切の私財を没収し、さらに近代科学をも全否定した。クメール・ルージュは、これを「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」と称した。移住させられた人々は「集団農場」で農業に従事させられる一方、知識人階級は「反乱を起こす可能性がある」とされ、殺害された。


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                (フリー画像)


ポル・ポトは、ニワトリからポルッと生まれて、ポトッと地面に落ちた人なのよ、
って母さんがわらいながらいったので、ぼくはやっとじょうだんをいわれてたん
だとわかりました。サルちゃんは、たまたま同じ名だけど、必ずだれにも親切を
する、こころのやさしいおとなになってね。そういって母さんは、ぼくのあたま
をなでて、大好きなゆで玉子をつくってくれました。母さんって、おもしろくっ
て、やさしくって、いいなあ。

                 



(青字部分は基本的に真面目話ですが、一部に冗談が混入されておりますのでね)

私としては珍しく政治関係の本『人はなぜ人を殺したのか』――ポル・ポト派、語る(舟越美夏/著)
を読みました。人は、自分が正しいと信じ込むと、平気で残忍冷酷なことができるようになる。何か
の事で成功して有頂天になると、自信過剰になり、他の人の助言を行け入れなくなる、と感じました。
私は子どもの頃は、父親はおらず、母親は、ほとんどかまってくれませんでした。でも私の基本的な
性格は、母親の言動を見聞きしているうちにできたと思っています。人生観は、成人してから聖書の
影響を受け、だいぶ後に精神世界を知って大きく変わりました。人は人生経験で形造られるのですね。



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 卵と玉子に、コロンブスと漱石の関係。 

               バーソ青草文庫 [子どもの作文]


ぼくはニワトリのタマゴ(前編)

ぼくは変な人間みたいです。
ニワトリのタマゴから生まれたからです。

だって、母さんはいうんです。サルちゃんねえ―――あ、ぼくの名前はサロット
・サルっていいます―――おまえはニワトリのタマゴから生まれたんだよ。その
しょうこに、自分のへそのおを見たことがないだろ? 母さんのおっぱいを飲ん
だ記憶があるかい? おまえはカルピスで育ったのだよ、って。


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ぼくは大変おどろいて、えーっ、ウソでしょっていったら、母さんはいうんです。
覚えてないだろうけど、おまえがタマゴで生まれたとき、お医者さまがおまえの
おしりをブチッとぶってね。そのとき、おしりが少しつぶれたのかもねえ。でも
そのおかげで、おまえはオギャーッと泣いて、立てるようになったんだよ。その
立て方はコロンブスがはつめいしたといわれてるけど、本当は、その話はちょっ
と違うんだよね、って。

 子やぎの肉を母の乳で煮るのは禁止律法の拡大解釈。 


マックだろうが、マクドだろうが、チーズバーガーは絶対に食べない、
と決め込んでいる人たちがいます。

旧約聖書の律法に従う厳格なユダヤ教徒です。

食べない理由は、牛肉が禁じられているからではありません。

聖書には、ノアが大洪水の後、箱舟から出て、動物を焼いて神に捧げると、
「主はその香ばしい香りをかいだ」と書かれています。(創世記8:21)

イスラエルの祭司が、雄牛を祭壇で焼いて神に捧げるときに出る煙は、
「主にささげる香ばしい香りである」とも書かれています。(レビ記1:9)

このように「主なる神」は肉好きで、とりわけ牛肉が大好物なのですが、
しかし肉と乳製品が一緒に使われている料理は律法で固く禁じられている、
と厳格なユダヤ教徒は考えています。


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  (ユダヤ教徒なら、「てりやき」のほうに票を入れるでしょうか?)


そう思われている律法と、その拡大された解釈がなかなか面白いですよ。


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